母の言葉

 5月に『蒲田店の思ひで』を投稿してから二月あまり。COVID-19に対して人類の
解決方法は模索の状態が続いている。何はともあれ、皆様も手洗い・うがい、3密を避けて
ウィルスから身を守る行動を。

 ここ数か月間の自分の事を書こうと、久しぶりにPCに向かっている。自分はプロの書き手では
ないから、書かないと本当に書けなくなる。定期的に書かざる得ない何かがあれば良いのだが。

 まず5月1日から出向し、新しい職場に背広姿で通勤している。自分はメーカー勤務なのだが
今までは工場巡りの生産サイド。私服で通勤し、会社で制服(作業着)に着替える生活だった。
出向先では同じメーカーでも販売サイドのお仕事。背広必須となっている。自分の配属部署は12名。当然ながら最長老。
20代前半の方々に揉まれながら仕事を楽しませてもらっている。ちなみに隣の部署は製品インストラクター
の部署で8割が女性。定年前のアラ還オヤジのいる場所なのかと何度も上司(約40歳)に尋ねたが
『岡田さん。いいんですよ!』とフランクなお答えが。まぁ何とか2月やってみて、どうにかなっているようだ。
強敵は、やはりスマートフォン。そんな訳で自分のガラホも5月末の更新時期にiphoneに切り替えた次第。
 
 マス岡田の背広姿は皆さん想像しにくいようで、最初に食らいついて来たのが何と江橋部長だった。
実は5月22日。蒲田店の最終日に会社帰りに駆け付けたのである。ノーネクタイではあるが背広姿で。
お店前は長蛇の列。満席の1Fを厨房前に駆け寄り、店長にある人物の所在を確認した。2Fとの事。
2Fに駆け上がり背広姿のマスクをしたハゲオヤジがサプライズ乱入。ある人物さんビックリ。
その日は、ある人物さんのお誕生日だったのだ。で、ささやかながらTシャツをプレゼント。
それにしても、ある人物さん、相当飲んでいたと報告させて頂きます。
閉店時間も過ぎて1Fのレジ前で店長と話をしていた時に店長の携帯が鳴った。(後に気が付いたが、自分にも着信ありだった。)
江橋部長からの電話だった。『マスさん。あの~その背広姿は・・・』答えは店内のモニターカメラだった。
本社の江橋部長は閉店時間の状況が気になってモニターで見ていたのだ。皆でカメラに手を振って、蒲田店の最後と相成った。

 車も無事車検を終え、エアコンの修理も完了した。カメラ機材の無くした部品も補充して
いつでも出かけられるように準備は整った。6月から週一ペースでTwiも山田ネタをアップ。
さて、出かけるかと思った矢先にまた外出自粛。(ステイ・ホーム?)気が滅入るが、ふと母の言葉を思い出した。

 母は90歳で健在だ。終戦を迎えたのが16歳だったはず。西池袋は焼夷弾で焼け野原。
母の実家は奇跡的に難をのがれたが、開戦から終戦後までの食糧難の話を思い出したのだ。
パン屋さんから品物が消えていく様。空襲で祖母と逃げ回った時の事を叔父(母の兄)の納骨式の
帰りに車中で話してくれたのだ。

 COVID-19との戦いは、焼夷弾が空から降って来るわけでもないし、食料も十分にある。
そう言った点では、かなり有利な戦いと思える。ウィルスは目に見えないけれど、
人との接触に注意し、手洗い・うがいで感染から身を守ることが出来る。現に先の冬場。インフルエンザの流行は早々と去った。

 夜の街やカラオケ。戦時中と比べると贅沢(余暇)との戦いなのかもしれない。

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残念

13年前の1月~6月。長期に渡り、山形県に滞在をした。
東根のホテルから尾花沢の工場まで、車での通勤だった。毎朝聞いていたのがYBC山形放送だ。
東京だとTBS、文化放送、ニッポン放送と別れてしまうが、7時からの『グットモーニング』の7時35分
頃からニッポン放送。8時からはTBSの森本さん。8時半過ぎには文化放送の武田さんの三枚おろしとバラエティに
富んだ朝だった。そこで出会ったのがニッポン放送の『いってらっしゃい』だった。
 心温まるお話の週は、感動のあまり毎朝泣いて通勤していたのを思い出す。放送作家さんの力もあったが、
語り部のそれも相まって、素晴らしい番組と思い、東京に戻っても毎朝山手線に揺られながら、ラジオを聞いて
いたんだ。
 人は窮地に追われた時ほど、素が出ると言うが、リスナーに対して一言あってもよかったのではと。
とても残念に思えた。
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明けましておめでとうございます

 皆様、新年明けましておめでとうございます。昨年後半から運勢落ち気味の自分ではありますが(笑い)
本年も宜しくお願い申し上げます。正月から投稿で、気合の入った年にしたいと・・・・・無理か?(やめておこー・・・)

 ここ数年、年越しはカウント・ダウン・コンサートのバック・ヤードで提供されている山田うどんの
ケータリングに同行させて頂いて過ごしているのだが、昨日大晦日で長年の謎が一つ解けたので筆をとった次第。

 山田うどん食堂のハーフうどん・そば。自分は一人前をお店で半分にしているとばかり思っていたのだが、
ちゃんと『半玉』パッケージがあって、工場から出荷されている事が判明した。これはもう自分にとって
『地下鉄はどこから入れるのか?』級の疑問だったので本当にスッキリした気分だ。今年も4649っす!
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令和元年 暮れ

 ここのところ普段昼食は会社の周辺のお店で済ませている。その際自分は必ず
釣銭の無いように、予め小銭を用意しておく。先日食事を済ませてレジに向かうべく
100円玉を数えていると真新しい100円玉が有り、よく見てみると『令和元年』と
刻印されていた。昭和64年から平成元年になり、平成31年から令和元年になったこの
5月から暮れに至るまで本当に色々な事が身の回りでおこった。今振り返ると嬉しい事は無く、
殆どが悲しい事だった。こんな年もあるのだなと100円玉をしみじみと見つめた。

 その日の会社帰りに池袋で買い物をしたのだが、待ち合わせの人達で駅周辺が混んでいた。
クリスマスに近い週末なので、なるほど。もう子供も成人しているのでクリスマスプレゼントに
悩む事は無くなったが、12歳になるまで毎年10月頃から選定を始めていたのを思い出した。
毎年品物は3点で『読むもの・科学・お菓子』のセットだった。科学と言っても難しいものではない。
地球コマとか椎茸の栽培セットとか・・・ご参考までに。IMG_4490

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吉岡信洋さんを偲ぶ

 山田うどん祭りやレポTVでお世話になった吉岡さんがお亡くなりになりました。
昨日30日にお別れしてきました。神奈川で荼毘にふされ、故郷の旭川でお葬式との事でした。

 レポTVでカメラを担当しつつ、あの大笑いの声がね。よかったね。

 それにしても急ぎ過ぎだよ!吉岡さん!

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